■ 二人のノーベル賞学者とのエピソード 1 ストリーミングビデオ 二人のノーベル賞学者とのエピソード 1 さて、白川さんのこのたびの受賞で、日本からのノーベル賞受賞者は9名になりました。 このうちの3人、すなわち、朝永振一郎さん、江崎玲於奈さん、それから白川英樹さん、この3人の先生方は、 筑波大学関係者であるということ、私も同じ関係者の一人として、大変誇りに思っております。この中でも、たまたま私は、 江崎玲於奈さん、江崎さんは1973年に江崎ダイオードの発明でノーベル物理学賞を受賞された先生ですが、 江崎さんと白川さんのお二人には、同じ屋根の下で仕事を共にさせていただいたことと、友人として間近に接することがありまして、 いろんな体験をさせて頂きました。今日はその体験の中から、お二人の間の係わり合いについてのエピソードをいくつかご紹介したいと思います。 そのエピソードの中から、お二人の優れた能力、すばらしい人柄を垣間見て頂ければ幸いだと思っております。 江崎さんが筑波大学の学長を務められてから2年目の年度末のことだったと思いますけれども、私は次の副学長を命じられまして、 それをお引き受けすることになりました。当時私は、第三学群長という役職を務めておりまして、そういう関係で気になったことは、 その第三学群長の後任の人事のことでございます。私としては、後任は白川さんしかいないなと、白川さんなら任せられるなと思っておりまして、 できれば座ってほしいと思っていたのです。幸いにして選挙の結果、私の期待通り白川さんが学群長を引き継いで頂くことになりました。 ところが白川さんは、非常に研究熱心な方でございますので、研究の時間が取られるので困るよ、と非常に不満でいらっしゃいましたけれど、 私は後一年間残しておりましたので、しかたないからその一年間の残任期間だけだよ、と念を押されてなんとかお引き受け頂けました。 その間私は江崎学長の下で、研究担当と人事担当の副学長を致しておりました。 江崎さんという方は、個人の実力と実績にふさわしい処遇をすべきであるというお考えで、 メリトクラシーと言う言葉でよく言われていましたけれど、そのメリトクラシーを重要視される方でございまして、 そのために私が担当している人事についても、研究についても、研究の成果を正当に客観的に評価して処遇するようにとお求めがありました。 客観的に評価する一つの手段と致しましては、サイテーション・インデックス、日本語で言いますと、引用文献索引とでも言うのでしょうか、 これから各研究論文の引用回数を調査するようにと命じられました。実際は私の前任者である南日副学長の時代からその調査は進んでいたわけですが、 調査の結果が出てまいりました。調査結果を江崎さんがご覧になって、 「白川さんの異様に突出した引用回数の多さは、これはただ事ではないですよ。」とかなり興奮されて言われたことを覚えております。 私はさっそく白川さんを学長室にお招きして江崎さんと会談を設定することになりました。その後、私は江崎さんが機会あるごとに、 いろいろな賞の受賞候補者として、白川さんを推薦されていたのを記憶しております。それがどの賞であったかは知る由もございません。 特にそのなかにノーベル賞が含まれていたかどうかも、全く私に知る由もございません。 かくしているうちに、白川さんは学群長として着実に実績を上げておられました。 その当時は大学院の改組の問題など非常に重要な問題が山積しておりましたが、見事にさばかれていました。 特に先生の飾り気のないお人柄と、それから非常にまじめで、それでいて頑固なところがあるのですけれども、 そういう人柄が非常に人を引き付けるところがございまして、日に日に先生の人望が高まっていったような気が致します。 そうこうしているうちにお約束の一年目が過ぎまして、次の学群長の選挙が始まりましたが、 先生の意に反して実は多くの票が集まってしまいまして、先生は再任されることになって後二年間引き続いて学群長をすることになってしまいました。 白川さんには、約束が違うよとかなりきつくお叱りを受けましたが、私は申し訳ございませんと謝るしかございませんでした。 BACK ▲ 経歴と科学者・技術者の探究心 NEXT ▼ 二人のノーベル賞学者とのエピソード 2