■ 科学するこころ ストリーミングビデオ 科学するこころ さて、これまで白川さん、江崎さんをひきあいに出しながら私自身のことも話しながら、 科学とか技術の素晴らしさをわかっていただこうとお話をして参りました。科学や技術への取り組み方はいろんな方法があると思います。 それから私は、このITの時代、情報化の時代というのは、さらに文系も理系もあまり区別ないのではないかと思っております。 文系とは何だろうかという話になりますと、文系と言うのは文字を操るとか文字が中心になってくるのではないかと思いますが、 文字と言うのも結局は符号なのですね。それで今、デジタル化社会・情報化社会というのは、デジタルテクノロジーが基礎になっていますが、 デジタルというのもこれも符号なのです。符号という意味では最も単純・原始的な符号が、0と1だけの世界ですから、 文字というものよりはるかにに低次元の符号なのです。しかし、その符号をたくさん同時に高速で理解するというのは、 人間ではできないわけですからコンピューターの発達によって出てきたわけです。 ですから、当然コンピューターという道具があって初めてデジタルテクノロジーというものができるわけです。 しかし、古い昔、文字の社会といってもやはり文字をうまく使いこなす人、それには筆とか紙とかいろんな道具があったでしょう。 その道具を使いながらやる人が文系だとすれば、今の文系はそれこそデジタルの符号をコンピューターという道具を使って 使いこなす人ではないかと思います。もう少し文系というものを考えると、書記のように文字と道具だけを使うのが文系ではないよ、と話で、 それでは小説家のような人が本物の文系だとおっしゃるならば、小説家は人の観察を十分にしなければならないのですね。 それは、人の心の中を文字で表そうという一つのサイエンスだと私は考えます。 いろんな自然の現象、あるいは人間の心の中まで、人間の社会・仕組み、そういったものを詳細に観察、興味を持って観察するのは科学なのです。 ですから文系も理系もあまり差はないと思います。 そういう科学をする心、これは、今私はリアルな世界のこと自然なことを言いましたが、 実は今後はリアルな世界だけでなくヴァーチャルな世界の観察も大切になってくるのです。 例えば科学の最先端では宇宙電波望遠鏡・高エネルギー加速器などいう大きな設備を使って科学をする分野がございますが、 ここでは道具を使って最終的な結論を観察するのは肉眼ではできないのです。これはもうコンピューターがやる結果を信じるしかないわけです。 これはまさにヴァーチャルの世界の結論なのですね。ですから我々はリアルな自然を観察するばかりでなくヴァーチャルな世界にも 強い観察力を示さなくてはならないと思います。そういう意味で、いろんな人に科学をする心を養って頂きたいと思います。 今日のお話が、特に江崎さんや白川さんのノーベル賞を契機にして、もっともっと多くのノーベル賞を目指す若い人達が 出てくるようになるために役立てば大変うれしく思います。それと同時に情報化社会にあっては文系も理系もありませんよ、 とみなさんにコンピューターを十分に使いこなして頂きたいと思っております。ではまたお会いしましょう。 BACK ▲ 二人のノーベル賞学者とのエピソード 2